UBE BIENNALE

ランドスケープ・アーキテクト――言葉のあや――(1993-図録)

佐々木 彬

私事ですが、若い頃、米国で何年か住む機会があった。多分、その頃身に付いてしまったのだろうが、言葉、特に英語と日本語の使われ方が非常に気になる。リストラ、ゼネコン、ボディコン等、英語を日本流短縮3~4文字にした所などは最高傑作であるが……。

’73年頃だったと思うが、サンフランシスコ近郊のオークランドにケビィン・ローチとジョン・ディンケルーが設計した美術館があり、その見学に出掛けた。

その美術館は、ジョギングコースにもなっている、対岸のすぐ見えるそれほど大きくないメリット湖のそばに建っている。マヤ・インカの神殿の様な基段状になって、上が庭園になり、地下に美術館があるようにも思える。(建築学的に理解する事をお望みならピーター・パパデメトリオーの解説を読まれることを勧める。)

この外部植栽を手掛けた人がオークランド市のランドスケープ・アーキテクトであるダン・キリーであった。

私が新しい言葉に接したのが、この時である。(学生時代に建築史・構造・法規・都市計画まで一様学んだつもりでいたが……)

▽ランドスケープ・アーキテクト▽ 私の職業は建築の設計で、英訳ではアーキテクトとなっている。ランドスケープは庭園とか風景とか訳せるが、アーキテクトは日本語訳がうまくいかないと思った。アーキは最高・高級、テクトは技術で、どうも古くは大工の棟梁のようだ。近頃、建築家と呼ばれるようだが、それとランドスケープを合成すると造園建築家となり、どうもすっきりしない単語となる。アーキテクトを建築家とするより設計士とした方が、この言葉を訳すのに都合が良く、即ち、ランドスケープ・アーキテクトは造園設計士で、アーキテクトは設計士である。

それ以来、私は自分の職業を設計士と自己紹介する。中国語では設計師となっている事を後に台湾で仕事をする折に知ったが……。

ダン・キリーを知る事が、私には自分の仕事が何をする仕事か明快になった時期でもあった。20年近くも前の事だった。

残念ながら、今日、日本の教育では、この分野が専門として確立されていないようだ。庭師、あるいは造園技師としてはあるが、都市計画(アーバン・デザイン)、建築まで関わった教育がなされていない。

私共が建築の設計に携わるとき、どうしても造園に関わらなくてはならない。建築的或いはその地域への関わり(都市計画)と中間領域の計画である。

そのような経験から、野外彫刻展の会場構成も個々の作品の持つ支配空間を見定め、それぞれが巧く干渉し合うようレイアイトしている。個々の彫刻が空間を抽象的な形態によって建築的に支配すると先人が申しているが、まさにその個々の出すエネルギーを巧く協調させることにある。

建築・彫刻・絵画・音楽は古来、同一目的(宗教・領主)で互いに深く関わってきたが、近代においてそれぞれが独立し、少々混乱しているようにみえる。オークランド美術館にみるように、又統合し、協力し合う時期が来ている。

私は第二のダン・キリーを目指してはいない。ザカリアのヨハネと思っている。ランドスケープを本格的に学んだ人が来る時、まったく新しく、面白い野外彫刻展の会場構成がなされると思うし、私自身もそれを見てみたいと思っている。

(建築家)

前に戻る

  1. top
  2. 図録掲載記事