生まれ変わった彫刻庭園(1993-図録)
川元 明春
最近刊行された「宇部と彫刻」の中に、「現代日本彫刻展」の前身である「宇部市野外彫刻展」(1961年)の会場風景の写真が掲載されている。現在も彫刻展が開催されている場所であるが、急造成で切り開いたと思われる。土が剥出しの荒涼たる台地の上に、コンクリートブロックを重ねて彫刻の台座とし、59点の出品作品が並べられている。野外に解放された彫刻群は、荒々しい自然環境の下に曝されて戸惑いの表情を見せながらも、「現代彫刻の新しい実験と前進のための第一歩がここにはじまった」(故土方定一氏)という新たな可能性と未来へ向けてのびのびとしたエネルギーを発散させている。しかしながら、現在の彫刻展の状況を鑑みると、隔世の感は禁じ得ない。
「現代日本彫刻展」は、1965年に始まり今回でちょうど15回目を迎える。それに先駆けて1961年に開催された「宇部市野外彫刻展」から満32年である。そして、今回の野外彫刻展は、その舞台として多くの作品を生み出してきた常盤公園野外彫刻広場が装いも新たに再整備され、宇部市野外彫刻美術館としても新たな一歩を踏み出す彫刻展である。
32年前の前述の会場は、この彫刻展の推進者だった故上方定一氏、故星出寿雄市長、故岩城次郎市立図書館長、当時女性問題対策審議会長上田芳江女史らが中心となって構想され、彫刻家柳原義達氏、向井良吉氏、建築家大高正人氏の3氏が宇部市彫刻運営委員となって、常盤公園を委員自らブルドーザーを駆って整地して切り開かれた会場である。
その後、1964年に彫刻庭園として整備され、翌年開催された「第1回現代日本彫刻展」以降彫刻展の会場として使用されてきたが、施設の老朽化、近年の台風による被害等により、再整備の必要が生じた。そして、何よりも、出品作品が大型化し、表現形式や素材が多様化し、主題も環境、文明批判、風土へと拡がり、展示空間としての質的向上が彫刻自体の側からも要求されていたのである。今回の再整備にあたっては、彫刻展草創期からの委員である建築家大高正人氏の構想と指導のもとに、行われた。
元来彫刻は空間を要求し、周囲の空間を自己のものとして支配しようとする。野外彫刻においては、更にその傾向が顕著であり、設置される環境との密接な関係を求める。そして、彫刻と環境が互いに共鳴しあう時は望ましい結果となり、不協和音を発するときは無残な姿をさらすことになる。現代の文化は、コンセンサスの得られる共通の価値観というものを持たず、解体され、非連続化した状況の中で成立している。彫刻も又しかりである。そして、彫刻展の展示の難しさは、まさにここにある。非連続で個性化の進んだ作品をただ併置し、状況のみを提示することは容易である。しかし、個々の作品が支配しようとする空間領域を極力損なうことなく、複数の作品を展示空間という領域の中に留めなくてはならない。このような彫刻展のための展示空間は、ニュートラルで連続的な空間が望ましい。場所性の高い、非連統的な展示空間は、それぞれが個性的な作品群を展示するには無用な混乱を生み出すだけである。
今回の野外彫刻美術館彫刻庭園の整備においては、企画展示場と常設展示場の二つの領域に分けられている。水、太陽、緑、地形といった自然的環境を彫刻作品が最大限に享受できるように、人工的要素は必要なもののみとして簡潔に構成されている。縁石を省いた園路と芝生の納まり、クロマツを主にした植栽等、景観を単純化することにより、彫刻庭園から池への視覚的連続と一体感を生み出し、自然景観と彫刻が対時することで、相互が引き立て合うような関係をつくりだすことが意図されている。
(建築家)