UBE BIENNALE

第16回現代日本彫刻展に想う(1995-図録)

嘉門 安雄

あらゆる煮味に於て、戦後わが国の野外彫刻展の草分けとして、ビエンナーレ方式で開催され、進展してきた宇部市の「現代日本彫刻展」も、この名称が確立されてから、今年は第16回展を迎える。この名称以前の「宇部市野外彫刻展」(1961年)、「全国彫刻コンクール応募展」(1963年)を加えると、今年は18回目に当る。35年に及ぶ歴史であり、成果である。まさに、営々として築き上げ、わが国彫刻界に多くの示唆と実りをもたらすとともに、宇部市そのものを変え、宇部市を見る眼を変えさせた。

いま、改めて振り返ってみると、宇部市のこの野外彫刻展は、現代日本の彫刻の歴史と成果そのものである。ここから多くの作家が生れ、育ち、彼等によって現代日本の彫刻は方向づけられてきた。現代の彫刻界を支え、特徴づけているものの多くは、よかれあしかれ、この彫刻展で見出され、展開してきた、と言っても過言ではないであろう。言うなれば、現代日本の彫刻の脈動そのものであり、性格そのものである。

私はいま、今年の夏2ヶ月余に渉って、新設の、そして、私自身がそこに身を置く東京都現代美術館で開催され、ようやく9月3日に終ったアンソニー・カローの大回顧展を改めて想う――。

カローは、単に現代イギリスの大作家、と言うだけではない。その活動歴に於て、現代彫刻の展開そのものであり、その象徴とも言える。彼の作品をたどることによって、現代彫刻の、立体造形の、変遷と存在価値を納得するであろう。衆知のように、カローは、今世紀を代表する、そして、現代彫刻の豊かな水脈となった偉大な彫刻家ヘンリー・ムーアに学んだ。ムーアは彫刻を、記念像や自然模写から、あるいは装飾芸術から完全に開放した。

彼は彫刻を自然の中に放り出し、自然の、風景の一部であり、自然との共同体であることを、はっきりと示した。換言すれぱ、彼は彫刻に環境芸術としての性格を与えた。そしてそこに、20世紀後半の彫刻の大きな進展の道を見出すのである。

カローは、そのヘンリー・ムーアに学んだ。ピカソの彫刻を知って感動したのも、ムーアの芸術に教えられ、彼に共感していたからである。

その後のカローは、それこそ、知識慾旺盛で、健康で、目の澄んだ子供のように、多くのものを眺め、明るく判断して自己の道を発見……と言うより、進展させていった。彼の作品を、制作を、年代をたどって眺めてゆくと、まさに、1950年代以降の彫刻の、現代美術の変遷そのものを教えられる。

だが、決して真似ではない。だから、自己を見失うことはない。彼の芸術心に一貫して流れるものは(ある新聞の慧眼の「カロー展」評にもふれていたが)、人に対する優しさ、人間的ぬくもりへの信頼である。この優しさが彼の、いわぱ抽象的表現形態に、一種独特の豊かさと明るさ、そして温みを与えるのである。

近年のカローは作品に物語性を、あるいは建築的彫刻とでも言えるものに情熱をそそいでいる。しかし、前者の場合は決して抽象形態の放棄ではなく、後者の場合は決して建築の模倣ではない。

音楽が音の組合せによって物語を表現できるように、彫刻もまた、その素材と形態の組合せによって物語性を発言できる。今回の展覧会に出品の大作「トロイ戦争のシリーズ」(1993-94年)など、さまざまの素材と形態と光の組合せによる、まさに、彫刻群と言うか、立体造形群そのものによって奏でる大ドラマである。一方、現代美術館の屋外広場に悠然と立つ、スティールによる巨大な作品「発見の塔」(1991年)は、建築の機能を否定する。それは、建築の模型でもなければ、目で見る立体でもない。その中に入ることのできる、明らかに一種の触角芸術としての、いわば体(からだ)で感じる彫刻である。

彼は既に70歳をこえた。しかし、会うごとに、その新作を見るごとに、心も肉体も健康に若い。

ながながと、だが全く断片的に、思いつくままに「カロー展」の印象をつづってきた。さて、ひるがえって、16回を迎えた「現代日本彫刻展」に戻ろう――。

第16回展に当る今年の「現代日本彫刻展」は第15回展という記念の年を経て、意識の上でも新しい出発の年である。と言って、出品作、入選作がガラッと様相を異(こと)にするなどとは、誰しも想わぬであろう。事実、どのような意味に於いても、前回の継続であり、これまでの積み重ねの上での展開である。

敢えて宇部市の「現代日本彫刻展」に限らない。この野外彫刻展を皮切りに……と言うか、これに啓発され、意義を見出して、つぎつぎと開催された各地の野外彫刻展は、特に早くからスタートした野外彫刻展ほど、その初期に於いては、一種の開放感と新鮮さに満ちていた。現代美術の新しい芽生えと展開が予感された。たしかに、そこには技術的洗練はみられないにしても、いい意味での自由な発想と、野外に彫刻を息づかせることの、素材そのものを活かすことの喜びを知った。そして、これまた当然のように、野外彫刻では抽象系が圧倒的に多く、素材も多様になって、現代美術としての性格を作り上げていった。

言うなれば、野外という造形美術の世界では、野外彫刻展を通して、現代美術の性格と意義を識り、それに共鳴し、参加することに、今日の作家としての喜びを知った。そして、成熟もまた、こうした動きの中から、いわば、おのずからに生まれた。

しかし、発展と成熟の中から停滞や洗練が生まれてきたのも事実である。もちろん技術的洗練や破綻の無さが現れてくるのは決して悪いことではない。だが、そのために作家の顔が見えても鼓動がきこえなくなり、あるいは抑えられて、それこそ、私が一つ覚えの言葉のように繰り返す「乱調」の無くなることが気になるのである。もちろん、乱調は乱暴でもなければ、単なる乱れや破調でもない。いわば、絶えざる試みであり、創ることへの情熱の証(あかし)である。

30年をこえる「現代日本彫刻展」から、今日の日本の彫刻界を支え、象徴する多くのすぐれた作家を産み出してきた。彼等の中でも、初期の人たちの多くは、頼り、教えを乞う人も知らず、無いままに、それだけにまた、新しい刺戟には敏感な反応を示し、それこそ、模作と模索の中から自己を発見してきた。素材に惚れ込み、素材と格斗することの喜びや意義も知った。そこには熱気は感じられたが、スマートさに欠けていた。

その点、近年は、敢えて「現代日本彫刻展」に限らず、どこの野外彫刻展も、いや、彫刻全体が、それこそ、洗練され、スマートになってきた。

この稿を書いている現時点では、今年の出品作を、まだ直接には見ていないが、その多くを写真で見る限り、整っており、爽やかであり、鮮麗である。この彫刻展そのものの成熟の相であろう。

しかし、人間とは慾張りなものである。たとえ写真を通してとは言え、このように、すっきりと整った作品群を知ると、直接見ることへの期待がふくらむとともに、一つ二つ、大声を発する作品にも逢えないだろうか、との身勝手な願望も湧くのである……。

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