UBE BIENNALE

都市美と彫刻――宇部は活きている――(1997-図録)

嘉門 安雄

パリ市では昨1996年の春(4月)から夏(6月)にかけて、コンコルド広場から凱旋門にかけて、あの緑豊かに広大なシャンゼリゼ大通りの歩道に沿って……と言うより、そのシャンゼリゼ大通りを舞台に「野外彫刻の祭典――20世紀の巨匠たち」の名のもとに、50点の大作、名作による壮大華麗な大イヴェントを展開した。

そこには近代彫刻の開拓者であり、象徴とも言える巨匠ロダンの名作「オノーレ・ド・バルザック像」やブールデルの「瀕死のケンタウロス」をはじめ、マイヨール、レジェ、ミロ、ジャコメッティ、アルプ、カロー、あるいはチリダ、デュビュッフェ、ソト、アルマン等々、国籍を問わず、年代を問わず、まさに20世紀を代表し、意味づける作家の、50点に及ぶ作品(そのほとんどがフランスにある)を集めての大展示であり、大パレードである-昼はあの豊かな緑の中に、そして夜は流れる光のリズムのなかに……。

しかも、その出品作……と言うか、展示作品はそれぞれに、それぞれの作家を代表する名品、大作である。そして、パリを飾り、パリに息づいたこれら作品の大部分を(大きすぎて輸送に懸念されるものや、借出期間の関係で無理なものを除いて)秋の東京にもってきて、東京都現代美術館の内外に展示した。幸い、その内容の素晴しさと展示形態の新鮮さによって、予想以上に多くの人に観てもらい、親しんでもらった……と同時に、われわれに改めて、野外彫刻展について、都市美と彫刻の在り方について、大きな刺戟と新しい都市美の発見をもたらした。

もちろんパリのシャンゼリゼ大通りの場合でも、東京の現代美術館の場合でも、単なる羅列でもなければ、集合体でもない。それぞれが大気の中に息づき、周辺と語り合っている。くどいようだが、そこに置かれて息づく作品群は、いわゆる記念碑でもなければ、象徴でもない。と言うことは、それぞれの作品が優れているというだけではなく、何処に何を置くかである。それは野外彫刻展の会場構成の場合でも、恒久的に設置する場合でも同じである。

さて、宇部市のビエンナーレ方式による「現代日本彫刻展」も、今年、第17回展を迎えた。選ばれてここに出品され、グランプリーをはじめ各種の賞を受賞した作品群。そして惜くも賞からは外れたが、多くの人の好意と熱意によって宇部に残ったもの、寄贈されたもの(いずれも佳品である)。また、彫刻展の入選、入賞作品とは別に、市民各種団体の寄贈による作品等々が、野外彫刻美術館として整備された常盤公園をはじめ、宇部市の街路、ひろば、そして公共建築前などに設置されている。その数――改めて数えたことはないが、野外にと言うか、オープン・エアに息づく彫刻作品は恐らく150点を超えるであろうし、そこには当然、複数の作品の作家もいるが、まさに、今日の日本彫刻界の全貌とも、展開の相(すがた)とも言えるのである。

しかも、それだけに、現在設置されている場所の周辺の変化によって、作品の移動を考えざるを得ないケースも出てくるであろう……と言うことは、折角の彫刻の街(まち)宇部を活性化させ、息づかせるためには、やむを得ない……と言うより、当然のこととも考えられるし、それだけにまた、大きな課題とも言えるのである。

今年17回展を迎えて、私がいま、この小稿を書いている時点、搬入設置された作品を直接観ていない審査前の時点では、誰の作品が大賞となり、誰が入賞するかはわからない。審査員の1人として、ひたすら、爽気の感じられる快作、歯切れのいい作品群を夢見るのである。

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