UBE BIENNALE

ヘンリー・ムーアに想う(1999-図録)

嘉門 安雄

ビエンナーレ方式による、そして公募コンクールによる宇部市の《現代日本彫刻展》も、この名称になってから、今年は第18回展を迎え、まさに野外彫刻の、コンクールによる野外彫刻の大饗宴としての歴史を刻んできた。ここから多くの作家が生れ、成熟大成もしてきた。

しかも、湖(うみ)の公園とも言える常盤公園を中心に、宇部市そのものが彫刻の街、彫刻の広場として爽やかに息づいている。私はここに、特に彫刻のオープン広場としての常盤公園に立つ毎に、20世紀イギリスの巨匠ヘンリー・ムーアを、そして彼の野外彫刻の香気とメルヘンを想う――

改めて言うまでもなく、ムーアの作品の多くは各地の美術館に収蔵・展示されて芳香を放っている。しかし彼の野外彫刻は自然の、大地の中に置かれた作品は、まさに野外彫刻であり、パブリック・アートである。しかも私は、公園の中であれ、草原の岩場の上であれ、彼の野外彫刻に接する毎に、遥かなる古代の、原始時代の《ドルメン》や《メンヒル》を想う。

もちろん、新石器時代と言われる遙か太古の、これら《ドルメン》や《メンヒル》は、何等かの意味で、宗教的記念物かもしれぬ。しかし、石を積み重ねたに過ぎぬ(ともみられる)これらの野外造形物から醸し出される香気と自然との、大地との結びつき、ロマンの響き合いは、私にヘンリー・ムーアを想わせるのである。

従来、日本に限らず、野外彫刻と言えば、一種の、しかも、特定の人の記念像か、宗教的作品が大部分であった。それに対し、ムーアの野外彫刻は、まさにイギリスの風土の中から、いや、その風土との結びつきの中から生れた抒情の歌声であって、いわゆる記念像ではない。私にとって、例えば公園の中に、あるいはイギリス独特の風土の匂う草原の中の、小高い丘の上に置かれた彼の作品は、おのずからにロマンの響きを伝えてくれる。

私はいま、これを書きながら、20世紀を生きぬいたムーアの傑作であり、それこそロマンの響きに満ちた「王と王妃」(1952-53年)や、ドルメンへの夢を限りなくかきたててくれる1962-63年の「大きなトルソ:アーチ」を、改めて思い出しているのである。

さて、宇部市が彫刻の街として出発して既に40年になろうとしている。野外彫刻美術館としての常盤公園のみならず、市内各所に然るべき作品が配置されている。それは、たしかに宇部市が目指したことの成果であり、豊かさではあるが、市街地の各所に息づいている作品のあるものは、市街地そのものの様相の変化によって、移動しなければならぬ作品も出てくる。前回も同じことを呟いたが、その構想と作業が、これからの一つの課題でもある。

彫刻の街〈宇部〉は生きている-生かさなければならぬ。彫刻を見つめ出し、彫刻を街の鼓動の原点と見つめ出して、既に40年になる。それは日本の彫刻の戦後史そのものとも言える。今後の道や歩みについて、われわれもまた、むしろ義務として、何等かの関与をしなければならぬのであろう……
(美術評論家)

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