UBE BIENNALE

歳月とともに育むもの――S氏への手紙(1999-図録)

酒井 忠康

先日、あなたから「彫刻の理想郷――イタリア・チェレからの贈りもの」展が、無事に終了したことを知らされ、ホッとしています。展覧会としては野外の彫刻をそのままもってくるわけにいかないので、とにかく模型や写真やビデオなどをつかい、可能なかぎり現場の復元、現場のイメージの再現に工夫したのですが(鑑賞者の理解の一助になればということで)、多少、変則的な展覧会でしたから、いろいろとあなたにも苦労をかけることになりました。

この展覧会は三つの美術館(鎌倉・津・札幌)を巡回しましたが、はたしてどういった数字をはじき出したのか、まだ知らされていません。が、おそらく、たいした入場者数ではなかったと思います。いつも彫刻の展覧会は苦戦しますからね。でも、いくども館の方に問い合わせがあったそうです。たいていはカタログの入手や巡回先の日程についてですが、それでもなかには現地を訪ねてみたいので行き方や手続きをおしえてほしい、といったような積極的な問い合わせもあったようです。三重県立美術館の友の会の方々ですか、展覧会の前でしたか後でしたか、現地を訪ねたそうですね。わたしどもの会場でも都市の景観や建築との関係、広場や公園における彫刻の可能性(ないし公共性)などに関心もった人たちの、これはごく少数ですが、いい展覧会だったよ、という感心ともお礼ともとれることばを頂載して、ちょっと嬉しい気待ちにもなったりしました。

当初、いささか冗談めかして、わたしはこの展覧会がきっかけとなって、日本のゴルフ場の一つか二つくらいは、きっと野外彫刻公園(庭園)に姿を変えるかもしれない、そんなことをいいましたね。覚えているでしょう。まだ望みはすてていませんが、かなり悲観的であることもまた事実です。

フィレンツェ近郊のチェレ村に彫刻庭園をつくったジュリアーノ・ゴーリ氏が、自分のつくった彫刻庭園を「理想郷」と称していて、来訪者をあらかじめ知っておきたいという意図から、事前に手紙や紹介状をほしいといっていたのが印象的でしたね。あなたも知っているように、氏は広大な庭を来訪者と一緒になってまわったりするし、一点々々の作品を丁寧に解説したりするものね。ああした熱心さがなければ、あそこまで徹底できないのかもしれない。彫刻を設置した庭のなかに継起するごく些細なことでも注意深く観察している氏の姿は感動的だと思いました。もっとも、これが市や州の管理となっているものであれば、あれこれウルサイ注文がついて、まったく違う様相を呈することになるでしょう。仮定の話ですが……。

札幌の会場ではたまたまゴーリ氏が信頼を寄せている彫刻家のひとりのダニ・カラヴァン氏が芸術の森・野外美術館の第三期作品として制作を進めていた「隠された庭への道」の完成とかさなり、互いに来日の機会を調整して相前後のレセプションということになって、これが相乗効果をもたらし、芸術の森との関連が強調されてかえってよかったのかもしれない。作品に即していえば、全長300メートルに及ぶカラヴァン氏の新作「隠された庭への道」と、「彫刻の理想郷」展のなかで紹介されている「線 1-2-3」(1982-89年)との関連は、まさにこれだ……と、来訪者を唸らせるに充分の、札幌芸術の森ならではの組み合わせだったと思いました。緩やかな傾斜をもつ地形にしたがってチェレの彫刻庭園を横切る白いコンクリート製の小道が、延々と札幌芸術の森にまでつづいているような錯覚を覚えました。

とにかく、札幌市や美術館の熱心さにゴーリ氏もカラヴァン氏も感激していましたね。わたしはゴーリ氏の彫刻庭園を日本に紹介できたことを密かに喜びましたが、あなたも同じ気持ちだろうと思います。しかし、考えてみれば展覧会は終ったのに彫刻庭園の事業は依然としてつづいているのです。完結することのない「現在」と、ゴーリ氏は向き合っているのです。その姿をどう形容すべきなのか、わたしは知らないけれども、歳月とともに育まなくては大きくならない「感受性の苗木」のようなものを、氏は情を込めて育てている、この情を込めて――というのが、こころあるひとの胸に響くものを提供するのだろうと思います。精魂込めて大切に育てているからこそ来訪者はチェレの彫刻庭園をこころゆくまで楽しむことができるのです。

ある意味で、こうした彫刻庭園への興味とかかわりは、わたしの個人的な”彫刻遍歴”に端を発したことですが、この育てる――という仕事が事業の根本にあるかぎり、後戻りは許されない、という感じが気持ちのどこかにあります。野外の彫刻を考えるということは、たえず変化する事象の意味と、いかなる関係を有するものにそれをつくり変えていくかという設問でもあるような気がしているからです。

巡りくる時期とでもいうのでしょうか、札螂芸術の森も一期5年で三期目にようやく辿り着いたところです。いろいろ労苦はありましたが、たくさんのことをおしえられたことも事実です。ところが、ほんとうのところは、これからなのです。「いま」という時の変化のなかにみる明日の様相を気にかける神経がなければ、単に「恒久的なもの」という名目で作品を置いて、それでオシマイということになってしまう。彫刻の庭園や広場の場合には、ある意味では設置したときがはじまりなのです。

つまり、芸術表現のもっている、これは一種の創造的な”優しさ”とでもいえるような「変貌の過程」を、そこにみなければならないからです。例えば環境造形Qのエゾ赤松をつかった植栽の「北斗まんだら」という作品などを想起してもらえれば解ると思いますが、25年から30年の歳月を経ないと当初のイメージにちかづかないのです。これは彫刻の「生成」というのか”生き物”のような彫刻といってもさしつかえない。石を素材にした作品でも、それ相応の時間が経たないと”味”は出てこない、というようなことを聞いたりしますよね。これなども考えようによっては「生成」ととれるし、実際、彫刻と環境とが馴染み親和するのには然るべき時間を必要とするいうことなのです。

このところの素材としての工業製品は、古くなると、ただ汚くなるだけですから、時の”味”とは無縁のしろものですが、いずれにせよ、ここでわたしがいいたいのは、恒久的なものであるという前提によって生じる、これでオシマイという彫刻設置の考え方をあらためたいということなのです。一過性の仕事の方が実験的となるのは当然だとしても、恒久的なものであっても「試みの大胆さ」は必要です。しかし、多くはその「試みの大胆さ」に欠けるきらいがあると思います。絶えず社会的な問題とのすり合わせを要求されるからですが(リチャード・セラのような例がありますから)、いわゆる「都市型」の野外彫刻に発生しやすいこの問題は、彫刻の「公共性」という観点からみて、なかなか避けがたい難題といっていいと思います(あのロダンの「バルザック像」の例があるように)。

その点では多少性質を異にしますが「自然型」の野外彫刻にも興味深い問題は生じます。随分以前に、デイヴィッド・ナッシュが北ウェールズの山中の渓谷に放置した木彫の「ウッドン・ボールダー(川石)」を目撃して、彫刻の「場」の問題や作品が変貌してしまうことに対しての不安のようなものを感じたことがあります。つまり、消えてなくなる……ということかしら。砂澤ビッキの「四つの風」が芸術の森に設置されたときにも感じたことです。彼は素材の樹の、この消えてなくなる……という不安に対して、いやいや、これは天の神への”贈りもの”なんだから心配しないでいい、と、悠然としていたのを思い出します。現実には鳥が巣をつくって芯を腐らせてしまい、保存にテンテコマイしているというのが正直なところなのです。しかし、見方を変えると、これもまた恒久的であることに拘った一面をものがたっているのかもしれない。

ともかく、札幌芸術の森が開設される以前ということになると、箱根・彫刻の森美術館を忘れるわけにいかない。今夏、30周年を記念して刊行された作品集を机上に置いてながめているので、余計にそのことが気になるからなのですが、現代彫刻の多岐多様さをあらためて知らされたような具合です。その序文で中原佑介氏は「野外に出た彫刻は20世紀の終わりを迎えつつある今、ひとつの転回点に到達しつつあるように思われる」といって、次のような指摘をしています。「野外の彫刻は彫刻という名の記念物になってゆく」「美術作品の恒久性と非恒久性、あるいは永続性と一時性という問題は、新世紀においてますますクローズアッブされる問題となるだろうと思う」と。まったく、その通りだと思います。

彫刻の「場」ということを考えると、そこには作品に相応しい空間的条件が必要です。彫刻のもっている性格や形態を損なわないこと、あるいは彫刻と「場」との快い関係が生み出す新しい空間創出など――についての試みは、彫刻が野外に出る(公共性をもつ)ようになって、いまでは常識となっていますが、ひとたび彫刻が設置されると、その「場」と関連して、こんどはひとびとの記憶のなかにおさまって行くことになるということなのです。

アメリカが、いうところの「パブリック・アート」の培養に一役買ったのは、ひとつには公共的スペースの大きさによるところがあって、彫刻も巨大化し、そのことによって「場」とのむすびつきを一層つよめる効果を上げ印象も強烈なものとなってたからだ、と、わたしは考えています。ニューヨークのマリン・ミッドランド銀行前に設置されたイサム・ノグチの「レッド・キューブ」(1968年)などは、その典型的な例です。彫刻庭園ではなんといってもストームキング・アート・センターです。雪の日に訪れたせいもあって忘れられない記憶となっているからですが、とにかく大きい、自動車で回りたいような感じでしたね。あなたの興味の中心にあるランド・アート(アース・ワーク)ということでは、さらに巨大なスケールをもつことになるでしょうし、このところ関心を寄せている「パブリック・アート」とエコロジーの問題など、自然の生態系とかかわって、ちょっとした”地球学”となっているのではないかしら。しかし、煎じ詰めると彫刻が「場」との関係において創出する「記憶の装置」としての「はたらき」に、なぜか収斂されて行くようにも思えるのです。

「彫刻の理想郷」展のお礼に……と考えてお便りしたのですが、余計なことばかり書いてしまいました。新しい世紀を迎えるということもあって、なんとなく一区切りつけておきたいという思いから、いささか懐旧の情にもかられた話となりました。でも、大切なのは事業の継続性なのであって、貧しい結果を云々することではない、と思っています。いずれ機をあらためまして。

(美術評諭家)

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