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第20回現代日本彫刻展(2003)

転換期の野外彫刻

三田晴夫

 日本の戦後美術の中でも、野外彫刻ほど社会と大きな接点を持つ存在もなかったのではなかろうか。たんに彫刻が、美術館やギャラリーといった展示専門施設の外に出たというだけの話なら、それはいわゆるオフ・ミュージアム(脱・美術館)という外来の美術動向の派生物として、特殊な一現象で終わっていただろう。しかし、日本の野外彫刻がそうと片づけられないのは、戦争で灰燼と化した都市の復興と環境整備という社会の側の要請とも密接に結びついていたからである。周知の通り、野外に彫刻を設置する動きは1960年代の山口県宇部市に端を発し、神戸市を経て全国各地に波及していく。やがてアメリカからパブリック・アート(公共芸術)の考え方や様式が渡来したのを機に、その流れが一気に加速化していったとしても、それを受容するだけの源流的な環境がすでに出来上がっていた事実を、日本の美術史家は忘れるべきではない。
 改めてその野外彫刻の推移をたどり直してみると、積み重ねの経験によって、それが通例の彫刻からいかに脱皮していったかの過程がよくわかる。なるほど初期には、作られた彫刻を野外に移せばいいという短絡的な事例が見られないではなかった。しかし、歴史を経るに伴って、今日ではすっかり自明のものとなった野外彫刻に固有の特質が獲得されていったのである。ここで野外彫刻が通例の彫刻とどう違うのかを、復習しておくのも悪くはあるまい。まずは素材や作りの恒久性である。屋内と違って風雨にさらされ、かつ人々との接触も絶えないわけだから、相応の強度を求められるのは当然だ。野外彫刻の素材の多くが、金属や石といったハードな物質に集中している理由も、ここにある。
 次いで、作品の物量やスケールの違いも言わずもがなである。展示室の床の代わりに支えてくれるのは大地であり、しかもそこには仕切りの壁もない。作り手にとって野外彫刻が、屋内的な制限に縛られず、やりたいことをやり尽くす冒険の別名となったのも当然だろう。従って通例の彫刻にくらべても、ここでは作品の大型化が格段に際立った特徴となっている。だが、作品は無条件に大きければいいのでもない。それが設置されるのが手つかずの自然の中であれ、人工的な都市の中であれ、美術館やギャラリーといった展示専門施設に置かれるのとは、おのずと見え方も違ってくるからである。野外彫刻を取り巻くのは、美術館やギャラリーの透明な無の空間とは明らかに異質な環境だ。
 たとえば広大無辺の空や山野の緑、あるいは密集する高層ビル、連なる家屋―。野外彫刻に対する視野には、そうした周囲や背後の景物が、絶えずひとかたまりになって飛び込んでくるだろう。作品とそれを取り巻く環境との知覚における不離の関係。まさにそれこそが、野外彫刻を通例の彫刻から区分する最大の条件であり、最大の特質というべきである。作品と環境との対立を際立たせるか、逆に作品を調和的に環境と溶け込ませるか。その意図や契機がいずれであれ、両者の一体化に魅力的なインパクトが備わっていない限り、野外彫刻たるアイデンティティーは獲得されるはずもない。ほぼ半世紀にわたって積み重ねられてきた日本の野外彫刻の軌跡は、この一体化を実現すべく創意と工夫に費やされたといっても過言ではないはずである。
 繰り返し念を押しておきたいのは、こうした野外彫刻の言わずもがなの特質は、決して受け売りの知識や概念に基づいて形成されたのではないこと。今回で20回を数える宇部市の現代日本彫刻展が、先駆的にその実践の積み重ねのうちから獲得し、蓄積してきたものなのだ。風景の中に勇大でのびやかな叙情詩をつむぐ石の彫刻も、日の光をきらめかせ周囲の風物を映し出す金属造形も、風の強弱に応じてリズミカルに舞う作品群も、宇部の地で孵化し成長を遂げたのである。とはいえ時代も、また動いてやむことがない。とりわけ野外彫刻がパブリック・アートへと言い換えられていくにつれて、野外彫刻の態様にも近年新しい変化が芽ばえ始めた。それは従来の環境と一体化した造形や風で動く作品とは、考え方も様式もずいぶん違っている。
 仮に従来の野外彫刻を、見る側の知覚の対象物というとすれば、近年目につき始めたそれは観客側が身体を動かして参加し、そこで何かを感じ取らせるような体験装置とでもいえばいいだろうか。その具体例はたとえば、3年ごとに開催されるパブリック・アートの祭典「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」にみることができる。舞台となった越後妻有地域は雪深い山里にして、全国有数の米産地として名高い。中心地・十日町市などそこの6市町村の人口は約7万2千人。そのほぼ3分の1が高齢者という典型的な過疎地だが、3年前に始まったこのトリエンナーレは国内外のアートを地域振興の起爆剤にして、深刻な過疎化を食い止めようという社会的な課題を担った美術展なのだ。
 作品が設置される場所は、主として里山などの自然や地域名物の棚田、廃校の校舎跡、あるいは土地を離れた人の廃屋などである。もちろんそこには、華麗な彩色の水玉模様を施した草間彌生の巨大な花のように、いわゆる立体造形物が皆無というわけではない。しかし、宇部市の野外彫刻とは対照的に、草間のような造形的な野外彫刻はごく少数派に過ぎず、主流派を形成するのは前述した体験装置のような作品だ。その代表例を幾つかピックアップしてみると、たとえばアメリカのジェームズ・タレルが川西町の高台に建てた「光の館」。館の屋根の一角が開閉して、観客は畳に寝そべったまま天空を染め上げる自然光の移ろいを絵画のように体感できるという、まことに神秘的な作品である。
 あるいは温泉郷の松之山町のあるマリーナ・アブラモヴィッチ(旧ユーゴ出身)の「夢の家」を挙げてもいい。これは土地を離れていった人の廃屋全体を作品化したもので、畳の各部屋に石の枕付きの細長いボックス状の寝台をしつらえ、観客に一晩泊まってもらって、そこで見た夢を備え付けのノートに記述させるという奇想天外のパブリック・アートだ。タレル、アブラモヴィッチの両作品は3年前の展示作品だが、地元では恒久的な施設となっていて、日常的に宿泊客が引っ切りなしという。このほかにも、参加体験型の作品はまだまだある。今回の出品作では、やはり松之山町の廃校校舎を使って教室に地域の児童生徒の衣服を吊したり、積み上げた教科書を白布で覆ったインスタレーションを展開して、失われた記憶への郷愁をにじませるフランスのボルタンスキー&カルマンの作品もそうだろう。
 同じ松之山町の小高い丘陵の頂きに巨大なブランコを設置し、あたかも眺望の中に飛び出してゆくようなスリルを味わわせるタイのスラシ・クソンウォン。同町の「夢の家」の隣の廃屋に、この地域特産の野菜や果実、植物の根などを原料とした自家製の薬草酒を並べ、訪れた観客にふるまうオーストラリアのジャネット・ローレンス。あるいは十日町市の廃屋農家にわざわざ戸籍と住民票を移して住み込み、部屋々々を自作で埋め尽くした彦坂尚嘉も同類である。ことに暗闇の2階の部屋には、以前の家主が捨てるのに忍びなくて保存していた農機具が山と積まれていて、ふだんは闇の底に沈んで見えないそれらが彦坂の取り付けた点滅フラッシュライトで、まるで稲妻に照らし出されたように浮かび上がる様は身震いするほど鮮烈だった。
 長々と越後の例を紹介したのは、体感型の作品に未来可能性があるといいたいからでは決してない。ただ同種の現象が各方面でも顕著になってきたように、そこには何らかの必然的な契機がからんでいるのではないかとも思うのだ。それはまだわからないが、たとえば大型の造形物が環境との間に亀裂を生じ始め、彫刻公害論などの批判的風潮を呼び起こしていることと、あるいはつながっているのだろうか。なるほど宇部市の場合、整備された広大なオープンスペースが舞台なので、作品はなお規模や造形性を競いがちである。とはいえ毎回いくつかが市中に移設されていることを思えば、現代日本彫刻展の行方も、こうした現象が意味するものと無関係とはいい切れないだろう。(毎日新聞社学芸部記者)

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