UBE BIENNALE

第23回UBEビエンナーレ開催にあたって(2009-図録)

中原 佑介

 これまで「現代日本彫刻展」という名称で知られてきたこの催しが、今回から正式名称を一新するに至りました。現代日本彫刻展というより、「宇部の野外彫刻展」という呼称のほうが一般的だったかもしれません。
 新しい名称は「UBEビエンナーレ」。この新名称による海外向きの広報パンフレットはすでに制作され、過日開催されたイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレの会場でも紹介されました。(ただし、この新名称は前回の現代日本彫刻展のサブ名称として登場しています。)
 ビエンナーレ(Biennale)とはイタリア語で「一年置き、隔年の」という意味ですが、イタリアのヴェネツィアで一世紀以上にわたって開催されてきた国際的な芸術祭がヴェネツィア・ビエンナーレと呼ばれてきたので、今ではビエンナーレという言葉は、「隔年ごとに開催される芸術祭、美術展」を指すようになりました。
 ヴェネツィアの先例に習い、第二次大戦後ブラジルのサンパウロで、サンパウロ・ビエンナーレが開始され、ついでパリでパリ青年ビエンナーレが開幕しました。しかし、1960年代、70年代は、ビエンナーレという名称をもつ美術展はまだ少数だったのですが、その後急増し、現在では世界中で百をこえるに至ったのではないでしょうか。
 私自身は現代日本彫刻展の事務局が、どういう経緯でビエンナーレという名称を採択しようという決定をしたのか深くは知りませんが、ひとつはこの催しの国際的性格をより強めたいという意図があったと思います。それと、あまたあるビエンナーレでも、彫刻だけを対象にした隔年展はほとんど見られない。そういう点で、50年近くの歴史をもつこの催しは、その独自性をもっと国際的にアピールしていいのではないか。まあ、そんないろんな考えが、この新名称をうみだす要因になったように私は推察します。
 いくらなんでも、昨今のビエンナーレの乱立はどうかと思うという意見があります。私もそういう意見に同意する気持ちがありますが、UBEビエンナーレは彫刻の隔年性の催しであるということを際立たせる方向で、その独自性を示すべく努力してほしいと思います。

 名称以外に、この催しにはもうひとつの大きな変化がうまれました。それは応募作品のサイズの変更です。単純にいえば、従前よりサイズが小さくなっています。
 このサイズの変更については、選考委員会でもいろいろと議論がでました。反対論の骨子は、サイズを小さく制限すると作品の迫力が弱まるのではないかという意見です。
 しかし、この縮小論の根拠は、大きさを制限しないと市内に設置することが難しいケースのうまれる可能性が高くなるということです。正直いって、私はようやくこの催しの矛盾に気がついたなと思いました。
 そもそも、この宇部の野外彫刻展の出発は、宇部市の生活環境の浄化ということでした。市内に彫刻を設置することが、その大きな力になるという認識です。しかし、彫刻展は二段階方式で展開してきたのです。
 第一段階は、現在の名称でいう「ときわミュージアム彫刻野外展示場」に作品を展示し、そこで作品の審査をおこなう。この場合、この野外展示場から移動された作品が、市内のどこに設置されるかは、考慮できない。そして第二段階は市内での設置となります。
 「彫刻野外展示場」は市街地のなかではないので、極端なことをいえば大きさを気にすることはない。しかし、街中はどんな大きさでもいいというわけにはゆかない。これが、私のいう矛盾ということです。
 そこで事務局は、彫刻は宇部の市内に設置されるということを絶対条件として、大きさの制限を提案したわけです。私はそれに賛成です。そもそも街中に設置する彫刻というのが根本方針だったのですから、これは当然の成りゆきです。
 ただし、ここで一言つけくわえたいのは、このUBEビエンナーレの彫刻は、一時的な設置ではなく、半永久的設置だということです。都市のなかにおける彫刻の設置には、一時的なそれもあります。
 1967年、たまたまニューヨークで市が企画した「都市環境と彫刻」という展示を見る機会がありました。マンハッタンのあちこちのビルの前に、巨大な彫刻が設置されていました。いちばん興味をそそられたのは、セントラル・パークに立体形の穴を掘ったというクレス・オルデンバーグの作品でしたが、いくら探してもみつからないので、ご本人に電話したら、あれは危険だから埋めてほしいという市の要請で埋めてしまったという返答でした。
 もうひとつは、1999年パリで見た、シャンゼリゼの大通りの両側に並べた彫刻展。これには新宮晋君も出品していました。ニューヨークのそれはアメリカの彫刻家だけでしたが、パリのそれは国際展で、アメリカのジョージ・シーガルやイタリアのミケランジェロ・ピストレットなどの作品も並んでいました。
 一時的な展覧会といえば、日本では新潟県の妻有トリエンナーレのような広範囲な地域を用いたもの、横浜トリエンナーレのように倉庫など屋内を使用したものもありますが、都市を場として催されているものは皆無といっていいと思います。

 最後に、今日「展示」という形式は、美術の独占するところではなくなりました。宝石類から自動車まで、あらゆるものが、いまや展示という形式でわれわれの目に触れる時代です。絵画や彫刻は芸術作品だから、そこにあればいいという考えはもう通用しません。どのようにすれば、作品がもっともよく見えるかという工夫と配慮が不可欠です。街中に設置される彫刻はとりわけその配慮が要求されます。
 そもそも、彫刻を設置するという考えなしに設計された都市に彫刻を設置しようというのですから、この配慮はきわめて大事です。都市の生活環境の浄化のあとにくるのは、都市の景観の美化という課題です。いま、「UBEビエンナーレ」に課せられている大きな課題のひとつは、この都市の景観の美化だと思います。
 新名称「UBEビエンナーレ」の第一回目の催しに際して、私の意見を列挙しました。今回が新発足の第一歩として、活気にみちたものであることを期待します。

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