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第27回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)(2017)

第27回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)に寄せて

酒井 忠康

A この野外彫刻コンクールも、いろいろと創意工夫を凝らして変化してきました。前回の開催報告書(「第26回UBEビエンナーレ×まちじゅうアートフェスタ2015」)の印象からお聞きしたい。
B 「つなぐ・ひろがる・まち・ひと・アート」「新しいアートがうまれる」というキャッチ・フレーズはいいね。

A ときわ公園の各施設や彫刻野外展示場の充実だけではなく、市内各地でさまざまなイベントが組まれ、スタンプラリーや無料シャトルバスの運行などもあって、大いに盛り上がったようすです。また「大地の芸術祭」はじめ日本各地の「アートによるまちづくり」などの情報も提供して、とにかく「つなぐ・ひろがる・まち・ひと・アート」を文字通り実践しているのがよくわかります。
B わたしも選考委員会・表彰式の翌日、「まちなかアート・フェスタ」を見てまわったよ。最後に菊川画廊に寄って雑談していたら、菊川氏が、大賞になった《宇部の木》の制作現場を、朝の散歩の途中におもしろくて見ていた話をされたが、他にそういう人はいたらしく、傍らにいたときわ公園長の佐々木氏の話だと、近所の主婦たちの差し入れなどもあって、けっこう市民の関心を引いた制作現場となっていたらしいね。

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竹腰耕平《宇部の木》2015年

A 作家(竹腰耕平〉に聞くと、制作の期間を大学(京都精華大学)は授業の単位に換算してくれたそうです。また前回の大賞受賞作家は「瀬戸内国際芸術祭」に参加しています。
B いい大学だな!規則で雁字搦めにすると、アートもヘチマもないからね。ある意味で「パブリック・アート」“公”と“私”との緊張した衝突のなかに“創意の芽”が生じるのだといっていい。

A でも理屈で互いの立場を通そうとするので、いわゆる手続き論になるケースが多いのではないでしょうか。
B まあ“創造の芽”まで摘んでしまったらイケないね。そこからは何も生まれない。
A そうですね。「ビエンナーレの継続の工夫とパブリック・アート」の問題(第24回展)、「個人的な思い出と彫刻の社会性」(第25回展)、また「地域再生とアートによる新しい価値観の発見」(第26回展)―というかたちで、あなたにお聞きしてきましたが、今回は、その間の作品の傾向や造形思考の変化などについても、多少、伺っておきたいと思っています。
B ずいぶん、格好よく整理してくれたが、毎回、思いつきをならべた底の浅い話で恐縮しているよ。

A 過日、『土方定一著作集12』〈近代彫刻と現代彫刻〉(平凡社、1977年)を、久しぶりに読み直して、大いに刺戟されました。
B 試論のかたちで書かれた“20世紀彫刻史”とでもいえるようなものだが、体系的に時代の彫刻の推移がよく解るし、とくにヨーロッパ(イギリス、イタリア、フランスなど)の近・現代彫刻の動向を個別的に論じ、同時代的な関係のなかに位置づけて、世界的な視点からその展開を跡づけているよね。

A それがまた、戦後日本の彫刻家たちにあたえた影響までをたどっていて、各作家が自己の経験を介して、どのように新課題に挑戦したのかを物語っています。とくに“鉄”という素材で“20世紀彫刻史”のなかに、新しい機能をもって現れた、パブロ・ピカソやフリオ・ゴンザレスなどの話から、その後の新素材と格闘したナウム・ガボやモホイ・ナジなどの作家たち、あるいは戦後日本の彫刻家たちまで、作家の創造力と関連して多様化してゆく彫刻の展開について、詳しくふれています。
B このビエンナーレ展にも深くかかわった柳原義達、向井良吉、多田美波などの作家論が入っているし、また保田春彦や若林奮などの、その頃、“都市と彫刻”について、新しい提案をしていた作家にも興味をもって書いている。

A しかし、新しい提案をしていた作家には、いくぶん、ためらいがあった書き方をしていますね。
B それは仕方がないよ。あのイギリスの美術批評家ハーバード・リードでも「ポップ・アート」には焦点の合わないところがあったくらいだから。ためらいというか、古めかしいところがあるのは、やむをえないよ。

A 筆者の亡くなったのは、1980年です。したがって70年代までの基本的文献を主に書いているわけですが、それでもなかなかに予見的な意見をまじえた現代彫刻論になっていると思いました。
B 彫刻の現場を訪ねた経験を加味して書いているところに、土方の持ち味が発揮されていて、その端的な例が、コンスタンティン・ブランクーシやマリノ・マリーニなどとの出会いの一齣ではないかな。

A 1952年のことですね。
B 土方は、ブランクーシを「田舎の床屋の爺さんといったところ」と評して、短い訪問記を書いている。パリにいた友人の画家・海老原喜之助の“差し金”を暗示する面白い話なのだが、そんな話を振りまいていたら今日の話題から逸れて行きそうだな。いずれにせよ、何々論というよりは、個人的な出会いの体験をボソッボソッと語る、その土方の語り口には、不器用だけれども、何ともいえない“味わい”があるんだよ。

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酒井忠康
『芸術の海をゆく人 回想の土方定一』
みすず書房 2016年

A そうですね。あなたの『芸術の海をゆく人 回想の土方定一』(みすず書房、2016年)を呼んでもらうことにして、話題をもとにもどしましょうか。
B そのほうがいいなあ。

A ここ2、30年の間に誕生した各種の「アートによるまちづくり」にみられるように、彫刻造形の空間的要件や社会的課題は大きく変わってきたのではないかと思います。ですから彫刻のもつ要件と課題といっても、それは時代の変化に対応して、ますます複雑なものとなってきています。ところが、いうところの“20世紀彫刻史”を脳裡に描いてみると、造形思考の根本というのは、そう変わっていないような気がするのですが、どうなのでしょう。
B 説明は難しいね。作家の創意というのは、現在のなかに発想の条件を充たす創造性の契機をもつが、しかし、それは単独に生れるものではない。

A ということは、やはり時代精神の継承ということですか。
B 必ずしも継承という意味ではない。時代の波をかぶって様相を変えるのがふつうだろう。変革というのは、今日的な課題と直面するところに生まれるので、変革をみないというのは、悪しき伝統の継承にすぎないともいえる。

A 不易流行―ですね。
B その通り。

A 先の著作集のなかに第6回展(1975年)の図録に書かれた「彫刻のモニュマン性とはどういうことをいっているのか」が収録されていて、おもしろく読みました。
B 「形が大きいということが彫刻作品にモニュメンタリティを与えない」といったヘンリー・ムーアの話だね。

A そうです。記念碑的な意味合いの(「モニュマン性」をもつ)作品の事例を挙げ、その上で現代彫刻に可能な「モニュメンタリティ」とは―というところで、著者はムーアの話(インタビュー)を紹介し、質問者がムーアに「モニュメンタリティ」というのは、つまるところ様式的な質なのか―と問うのですが、それに対して、ムーアはこう答えています。つまり「様式」というのは教えることはできますが、「モニュメンタリティ」というのは、芸術家のヴィジョンの生まれつきの部分なので教えることはできない。それはまた巨大な作品を意味するものでもなく、例えば現代イタリアの画家モランディの小さな静物画のなかに、こういう感覚を発見するし、彼の描く壺は風景のなかの巨大な塔のように見えるのではないか―と。そしてムーアは大きさを必要としない芸術家の例として、パウル・クレーの作品を挙げていますね。
B いい話だな。ある種の精神的な内実に深くかかわる話だ。

A 只々、デカければいいといった野外彫刻への批判としても受けとれますね。
B 彫刻はある意味で記憶の装置でもある。だから何とか始末したいと思われる“グロテスク”な記念碑があっても、いちど設置されてしまうと、撤去はもとより、人々の記憶を刷新するのだって、そうとうに厄介なことになる。

A UBEビエンナーレも、一過性のコンクール展とはいえ、こうした課題とけっして無縁というわけではなく、これまでにもいろいろと論議されたいきさつがあったのを憶えています。
B まあ、「パブリック・アート」ということになると、論議の対象は多岐多様わたって、さまざまな事例があるけれども、要するにこれは、人々の暮しの基本をまもる良心の持続を保証するものでなければならないということである。その上で人間的環境・社会的環境・自然的環境を総合的に編成するプロジェクトの一つとして採用されるのが、ほかでもなく、「アートによるまちづくり」なのではないのか。

A 前回、あなたは「野生」について言及していましたが、それはやはり、人々の暮らしの基本を脅かしている、“ある何か”―を、鋭く察知する人間的能力の回復を謳って、対談を閉じる際に言われたように記憶していますが、どうなのですか。
B もちろん、「アートによるまちづくり」が念頭にあってのこと。頼みの「アート」が貧弱ではこまるから、それで「野生」をもちだしたのだが、ネタを明かせば、ゲーリー・スナイダーの「野生の実践」(邦訳=山と渓谷社、2000年)の受け売りで、伏線としては『ウォールデン』のH.D.ソローへの情憬があったこともたしかだ。

A スナイダーという人は、1950年代半ばに来日して、禅の修行を積み、その後、シエラネバダ山麓に棲みついてエコロジカルな暮らしのなかで「野生」との共生を訴えている詩人ですよね。
B その彼が、若い時期に人類学を学び、「芸術(アート)というのは、人間の創造力の未開地であり、原野でもある―」といった、レビィ=ストロースの言葉を、その著者の「序文」に書いてあったのが、ズーッとぼくの頭にあったものだから。

A それで「野生」などと言われたのですね。
B まあ、そんなところだが、いずれまた、ゆっくり話そうや。

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