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第27回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)

彫刻によるまちづくり

藤原 徹平

各地で「まちづくり」が盛んだ。景観によるまちづくり、教育や福祉によるまちづくり、商店街の空き店舗対策によるまちづくり、防災まちづくり、などいろいろな取り組みがあるが、宇部では彫刻によるまちづくりが半世紀以上前より取り組まれている。

宇部の「彫刻によるまちづくり」のきっかけは、周知のように市民運動からはじまる。宇部は第二次世界大戦の空襲で市街地がほぼ全焼し、産業の力で見事な復興を遂げた。しかしながら急速な復興の代償として、大気汚染など環境の悪化が進み今度は市民の精神が荒れた。ここで市民運動が起きる。自分たちの精神がこれ以上荒れないよう、花を植えることと彫刻を置くことで広場を彩りはじめたのだ。美しいまちづくりの起源だ。
都市計画という言葉がある。英語ではUrban Planning。理想像としてのマスタープランを描き、道路を付け替えたり、土地の区画をまとめて再開発したり、中心業務街区をつくったりと、大きいアクションから都市を考えていく。都市計画はどうしたって政策先行のトップダウン型になるし、時間もお金もかかる。ようやく着工したと思いきや、その時には街を取り巻く事情が変わってきて、当初マスタープランで描いた通りにはいかない。現代ではあまりにも速く人々のライフスタイルが変化していってしまうから、ここ数十年、都市計画とは世界中どこの都市でも失敗続きのようにみえる。一方まちづくりとはなんだろうか。私は、都市をつかう側からのボトルアップのアクションだと考えている。使いこなしの創造性、生きる知恵のようなものだ。まちづくりの始まりは、いつだってささやかだ。共感の輪が広がり、使いこなしの連鎖をよび、時間をかけて都市をつくりあげていく。例えば京都という素晴らしい都市があるが、最初からあのような姿をしていたわけではない。町民のまちの使いこなしによって、辻子や突き抜けと呼ばれる活動のための路地ができて、それに応じて街区割が変わっていった。条坊制という都市計画の方針は最初からあるが、京都の通りをつくっていったのは町民たちの住みこなしの成果なのだ。
社会の動態が読めず、将来のマスタープランを描くことが困難な現代社会においては小さなまちづくりの実践を積み重ねて、積み重ねた実践から全体像を浮かび上がらせることが重要になっている。最近はそうした方法を、マスタープラン型の戦略的な都市計画=strategic urban planningに対して、戦術的な都市計画=tactical urban planningなどと呼ぶ。宇部の「彫刻によるまちづくり」というのは、世界でも先例の少ない戦術的な都市計画の実践になるのだと思う。まず良いのは、具体的なことだ。「彫刻」でまちづくりをやる。曖昧さがないから、皆で戦術を共有しやすい。市民運動が共感を生んだのも、市民運動に対して沢山の文化人がサポートを表明してきたのも、産業界が反応したのも、市民が世代を越えて受け入れてきたことも、全てこの分かりやすさによるのではないだろうか。一方で彫刻でどうやってまちづくりができるのか、何の役に立つのかという批判もあるだろう。私は、まちづくりの戦術の良し悪しを考える上で重要なのは、未来のイメージを創造できるか否かであると考えている。「彫刻によるまちづくり」の未来のイメージはどんなものだろうか?目を閉じて想像してみると、私にはまちのどんな場所にも彫刻が置かれているような豊かな環境のイメージが浮かんでくる。実はわたしたちは、彫刻を置くだけでなく、まち全体を美術館やアートセンターのように変えていっているのだ。集団的な環境創造に参加しているのではないだろうか。

さらに素晴らしいのは、「彫刻のまち」をつくっていくことに宇部にいる誰もが関わることができることだ。都市をつくる側は、どの街角にも「彫刻」が置かれてもよいように隅々まで手を抜かずにつくっていく。これには、市の職員や、地主、不動産関係者、建築家、大工、庭師などが、彫刻を要請するような素晴らしい環境をつくっていくことで誰もがこのまちづくりに参加することができる。
また、都市をつかう側は、「彫刻のまち」を楽しく使いこなすことで参加していく。どの街角にも「彫刻」があって散策ができるようになるわけだから、まちのあちこちにカフェがあって良いし、いろんな散策ルートをつくっても面白い。季節のよいときには、まちじゅうで
ピクニックができても良いのかもしれない。

最近、宇部で力をいれ始めたのは、小学校や中学校の近くに彫刻を置いていく試みだ。私は展示委員として関わらせてもらっている。学校の校庭の片隅や、通学路のちょっとした街角など、全ての学区に置くことを目標に順番に置いていっている。予算の限界があるから少しずつだが、子どもたちの日常に彫刻を置く計画を練るのは楽しい。どこに置こうかと通学路の環境を観察していると、宇部にはいろいろな風景があることがわかる。彫刻家の創造力と宇部の持つ環境が応答することで、普段見なれた風景も魅力的に感じられるようになるのではないだろうか。彫刻と子供という相性も良いように思う。彫刻を見たときに大人はどうしても意味から先に考えてしまうが、子供はもっと直感的に形や素材に応答していく。まちかどに上手いこと彫刻を置いて、ふと佇みたくなるような、小さな風景をまちにつくることができるといいなあと思っている。通学路の中にいきなり彫刻が出現するとき、子供たちはどんな反応をするだろうか?いまから今年置いた彫刻の反応が楽しみである。宇部の美術教育のなかに、徐々に彫刻教育が取り入れられているようだから、そんな遠くない将来、宇部市内の全ての小学校が彫刻公園のようになっていくこともあり得るだろう。その時には「彫刻によるまちづくり」に何の意味があるのか?と問う人はおそらくは一人もいなくなっているに違いない。

「彫刻によるまちづくり」という、誰にでも共有できるシンプルな指針によって、宇部はこれからも未来にむかって自信を持ってまちをつくっていける。市民運動から始まったこのまちづくりも、半世紀を経ていよいよ迫力を持ってきているように思う。

世界中で地方都市が苦しんでいる。UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)の立ち上げから初代審査員長の土方定一氏に請われて審査員・展示委員として関わった建築家・大高正人は、晩年に若い建築家に向けて言葉を残している。

「私の世代は、戦争から戦後の甚だしい荒廃を経験して、思いがけずデモクラシーの下で、一応は豊かな生活を取り戻しました。しかし、その間に大都市には限りなく人々が降り積もり、農村からは人々が消えてしまうなど、現在の都市と農村には様々な大きな歪みがあります。
21世紀には、必ず大きな問題が起きることが今までの経験から推測できるので、その間でぜひ良い仕事をされるよう、成功されることを強く希望します。とにもかくにも困難な21世紀です。」

情報環境の変化や、産業構造の転換によって、地域の営みがバラバラになり、大都市にどんどん人が流れている。戦災による荒廃、公害による心の荒廃、いきすぎた資本主義社会による文化の荒廃、宇部はどんな時代の荒波の中でも市民の力で一歩も二歩も前に進んできた。私は、毎年宇部に行き、「彫刻によるまちづくり」に参画することが楽しみでしょうがない。ここには、先人たちから受け継ぐ未来に向けたまちづくりの希望がある。

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