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第28回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)(2019)

彫刻するまちUBE

斉藤 郁夫

先日、アンドレス・ファイエル監督の「Beuys」(日本語題:ヨーゼフ・ボイスは挑発する)を見る機会があった。未公開の映像を含む膨大な量の映像を積み重ねて作られたドキュメンタリー映画である。わたしは生前のボイスを見かけたことはないが、映画のなかのボイスは、おなじみのフェルト帽にフィッシャーマンズ・ベスト、ジーンズという出で立ちで登場し、ひっきりなしに煙草に火をつけ、倦むことなく語り続けていた。
ボイスの作品をはじめて見たのはいつだったか。ヨーロッパへ最初に行ったのが1988年なので、おそらくそのときだったと思う。以来、何度か彼の作品を見る機会もあったし、彼について書かれたものを読んでもみたが―自分の不勉強を棚にあげていうならば―どうにもとらえどころがなく曖昧な印象を払拭できなかった。
それが今回この100分を超える映画のなかで、討論会やインタビューの受け答えをするボイスの雄弁な語りと哄笑と苛立ちをつぶさに見ているうち、ひしひしと迫ってくるものを感じた。それは「灰になって燃え尽きたい」というボイスの言葉が表すように、彼がどれほど多忙をきわめ身を削りながら活動し続けたか、という驚きとその事実である。彼の過激な発言や型破りな行動の根底には、人々を巻き込み、より良い社会を全員で作り上げようとする意欲と情熱が未来への奔流となって存在しているようだった。
わたしにとって印象の曖昧だったボイスは、この映画によってにわかに焦点が定まり、その明確な姿かたちをはっきりと実感することができたと思う。

もう何度も語られていることであるが、UBEビエンナーレと改称した現代日本彫刻展の原点をたどると、生活の環境を変えていこうとする宇部市民の自発的な運動に行き当たる。
明治以降、石炭産業を中心にまちの基盤を築いてきた宇部市は、戦争で市街地の三分の二が灰燼に帰するという被害を受けた。戦後は工業都市として発展する一方、その代償として煤塵による大気汚染が深刻化する。一日の降灰量が1平方キロメートル当たり56tを記録し、大気汚染が全国No.1といわれたこともあったという。そのころ市が始めた街路樹植栽に影響されて、市民総ぐるみの「緑化運動」、「花いっぱい運動」が展開される。
そうしたなか、1958年、花の種子を購入するために集められた基金の一部で、18世紀フランスの彫刻家エティエンヌ=モーリス・ファルコネの《ゆあみする女》のレプリカが購入され、宇部駅(現在の宇部新川駅)前広場の噴水池に設置された。これが市民の間で好評を得て、小学生たちは、画用紙をもって毎日写生に集ったといわれている。
当時、宇部市では青少年の非行が大きな問題となっており、健全な育成環境を整えることも課題のひとつだった。そのような状況のなかで、この小さな彫刻が人々の心に与えた効果が着目される。そして芸術性の高い彫刻を集め、青少年の育成、さらにはわかて芸術家の育成にも寄与しようという気運が高まったという。宇部の市民運動の中心的存在だった上田芳江は、当時のことを以下のように語っている(「行政を動かす市民意識」『宇部の彫刻』1993年)。

戦後の荒廃した町に樹を植え、花を咲かせ、彫刻まで根付かせた歴代市長は、リーダーとして立派であったことは違いないが、この仕事を授け、完成させた市民こそ、活動の主役であり、行動力であった。

炭坑開発で得た利益を、関係者が分割配分しないで町の活性化に役立てる。その目的で「共同義会」と称する経済団体をつくり、ここで管理した。

この市民意識を、宇部モンローと呼び、排他意識と言う人もあるが、その言葉は当たらないとわたくしは思う。自主精神、きざな言い方をすれば、パイオニア精神と言うのであろう。この町に住む市民が一丸となって行政に協力し、住みよい生活環境づくりに参加したのである。

さらに上田は続けて「市民がそれぞれの立場で、応分の協力をしながら、理想のまちに近づいて行くのが官民一体の町づくり」であり、彫刻運動もそのひとつだと語っている。
まだ戦後復興の途上において、公害のまちに自然を取り戻し、人心の荒廃を防ぐ環境づくりに取り組んだこの自主的で創造的な運動は、未来の姿を描きうる豊かな創造力とともに、情熱的な行動力をあわせ持っていたようである。

そして今、ボイスの映画を見終えたわたしの頭のなかで、この市民運動はボイスの主張した「社会彫刻」の考えにつながってゆく。

ボイスにとって彫刻とは、たんに物質的な素材の美的な造形を意味するものではなかった。彼が「思考は彫刻である」というように、個人個人が、自らの思考を具体的に話し書くことによって、誰からも理解できるかたちにまで練りあげること、換言すれば、内部に生まれたものをかたちとして外部化すること、そのことが彫刻としての思考の第一義である。そのようなことができるのは各人に創造力が備わっているからであり、それこそが彫刻(芸術)に必要な能力である。そして、各人の創造力に基づく彫刻(芸術)的な活動を、政治や経済にまでに拡張し、社会全体をよりよいかたちにつくりあげてゆくことがボイスのいう社会彫刻である。もちろんボイスが社会彫刻の概念を形成する際に直面していた社会状況は、宇部の市民運動が克服しようとしたそれとは別のものだった。ボイスは固定化された様々な社会体制の変革を、宇部の市民運動は廃墟からの再生をめざした。敵を想定していた前者は挑発や破壊のもつ遠心力を最大限利用し、荒廃した現実を目の当たりにしていた後者は共感と協働にはたらく求心力の高まりのなかで動いたといえるだろう。
そうした違いはあるものの両者の活動の根底には、人々を巻き込みながらよりよい未来へ向かおうとする奔流のようなエネルギーがあったことは明白である。その勢いがあればこそ、宇部の市民運動は行政と一体になり、経済的な基盤を自ら整え、住みよい生活環境と理想の社会の実現に向かって活動を展開し、さらには、野外彫刻展という前代未聞の事業をひとつの継続するかたちにまでつくりあげることができた。こうした市民総ぐるみの活動こそ、まさしくボイスのいう「社会彫刻」ではないだろうか。
源流を遡ってそのように考えれてみれば、「UBEビエンナーレ」は野外彫刻作品のための純粋なコンペティションとは別の様相が色濃くなってくるだろう。何よりも彫刻作品は生活の現場で市民と共生すべき存在だからである。目指されているのは、選ばれた彫刻作品をまちなかの適当なそこ・ここに配置することではなく、むしろ彫刻作品を「植樹」すること―まさに、あの戦後復興期の街路樹植栽と同じように。
樹木は周囲の日当たりや土壌や環境を十分に考慮されたうえで、そこに植えられ、手入れされ見守られて育つ。それと同じように、彫刻作品の置かれるべき場は市民によって見定められて整えられ、手入れを受けながら見守られてゆく。このような行政と市民が一体となった、彫刻作品と共生するための持続的な行いのすべてが「彫刻によるまちづくり」なのだろう。だとすれば、ここでいう「彫刻」とは、もはや個々の彫刻作品のことではなく、むしろそれを超えて、社会を造形することとしての「メタ彫刻」を意味しているだろう。「彫刻(作品)によるまちづくり」とは、じつは「まちづくりとしての(社会)彫刻」なのだ。
その意味で「彫刻があるまち」ではなくむしろ「彫刻するまち」としての宇部を応援したい。今後の「UBEビエンナーレとしての彫刻」の継続と発展に大いに期待する。

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