UBE BIENNALE

発動する宇部の野外彫刻(2022-図録)

不動 美里 姫路市立美術館館長

 第二次世界大戦の敗戦という20世紀最大の大禍を被った日本のなかの一都市が、炭鉱と工業という産業資源による復興を遂げ、その固有の糧をさらに「野外彫刻」という根源的に開かれたアートによる文化振興に活かし、21世紀の今日まで紡いできた60年余の歴史は瞠目すべき質と内容を有する。初期から現在までのべ700人という出品作家の顔ぶれから看取できるのは、層の厚さと表現の多様性に加えて「宇部テイスト」と呼べそうな固有の価値観を孕む地域文化が醸成されつつあるということである。
 石、木、金属、土、セメントを素材とした彫刻の王道を専らとする戦後日本の現代彫刻を担った巨匠の面々が揃って本展に登場するのは自明だろう。宇部の「野外彫刻」の表現領域の拡張と深化の一端を示すべく敢えてここに「異色」の出品作家名を挙げるならば、陶彫の辻晋堂、もの派の関根伸夫、小清水漸、菅木誌雄、具体美術協会のヨシダミノル、孤高の彫刻家・三木富雄、さらにはグラフィックデザイナー福田繁雄、パフォーマンスとインスタレーションを主とする蔡國強、コンセプチュアルなアート・プロジェクトを展開する現代美術家の松井紫朗、等々枚挙に暇がない。さらに、金工の橋本真之、金沢健一、陶芸の三島喜美代、伊藤公象、秋山陽といった工芸的造形[註]を追求してきた作家の出品が目立つことも特筆に値する。
 日本における現代の美術表現は、概ね明治期に西洋近代美術を規範として受容した絵画、彫刻、版画、工芸、デザイン、写真、建築といった近代的なジャンル概念が下敷きになっているが、20世紀後半以降、ジャンルの越境・横断が常態化し、また新素材、音、光、映像、各種メディア等の複合的使用が一般化するにつれ、ジャンル区分は困難となった。さらにサイト・スペシフィックな建築的作品、仮設的なインスタレーション、パフォーマンス、アート・プロジェクトやワークショップといった無形/不定形の行為を含め、作品の表現形態は極めて多様な様相を呈している。多種多様な本展出品者の質の高さが物語るのは、同時代に生れ出る表現に対峙し、その存在価値をアクチュアルに問う批評の応酬のなかで絶えず新たな価値が見出される価値生成の現場そのものに宇部の彫刻展が成り得てきたという圧倒的事実である。しかも、この多様性のなかに通奏低音のように流れる「宇部テイスト」は、果たして「野外彫刻」として風雪に耐え恒久設置され得るか否かという、ごく当たり前の前提条件に起因するということに思い至る。つまり、出品を志す全ての者に平等に課せられるこの単純明快な制約が大いなる篩(ふるい)として稼働することにより、自らこの厳しい篩の目を通過する意志と技術をもった者のみが、百花繚乱の現代のアートワールドの喧騒から一線を画す世界へと招かれ、この地で、人間とは何か、表現とは何かという根源的な問いに迫る経験に導かれてきた。「宇部テイスト」は、この一連の体験の共通性から滲み出るものであろう。そしてそこには、宇部の人と風土がもたらす日本的美意識が流れている。
 優れたプランを現地制作するという類まれなチャンスを世界中のアーティストに与えるという手法によって地域の協働というソフト資源とともに芸術作品が集積する町の相貌は、町のプロフィールそのものである。宇部の野外彫刻群は、この地の未来はもとより、日本、そして世界の未来に開かれた語りの場として発動し、まさに野外彫刻の町、宇部が語り出す時が今到来している。
[註]
ここで言う工芸的造形とは「素材/自然/環境/他者に寄り添い、自らを物事の生成のプロセスに投げ入れ親密な交流を図ることによって、固有の技術を見出しつつ新しいかたちを生み出す造形及び造形行為」と筆者が規定する造形表現を指す。拙稿「生成のプロセスの只中にあるもの」『Alternative Paradise~もうひとつの楽園』(金沢21世紀美術館 2005年)、8 ‒11頁参照。

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