UBE BIENNALE

刻み、つなぎ合わせるもの(2022-図録)

日沼 禎子 女子美術大学教授

 2022年、夏。待ち望んでいたこの時がやってきた。どうしても、学生たちに見せたい風景があった。コロナ・パンデミックにより中止となっていた、毎年恒例の研修旅行が可能となり、私は彼女たちを伴い、宇部へ向かった。
 宇部新川駅発のときわ公園行きのバスに乗り込む。街のあちらこちらを彩る花、緑、そして辻々の彫刻を車窓から眺めながら、およそ20分の道のりを揺られていく。国道190号、ときわ公園入口を指し示す標識を左に折れ、公園正面に到着。次の停車場に向かうバスの後ろ姿を見送りながら、コンクリート造の大きなゲートをくぐる。石炭記念館を右に眺め、園路を進む。まだ朝の8時を過ぎたばかりだというのに、すでに気温は30度に達している。強い日差しを受け、流れる汗を拭いながら緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。湖畔から心地よく吹き上がる風に背中を押されながら、たどり着いたのは緑の芝生が広がる丘。夏雲が泳ぐ真っ青な空と、陽の光を受けてきらきらと光る湖の水面。そのあまりの眩さに、私は一瞬目を閉じる。やがて再び目をあけると、そこには、喜びに満ちた風景が広がっていた。
 搬入用の大小の車両がゆっくりと行き交う中、アーティスト、現場のスタッフたちが其処此処で、互いに声を掛け合いながらそれぞれの仕事に勤しんでいる。コツコツと石を叩く鑿(のみ)のリズム、電動ドリルの高速スピン音が響き、隣接する動物園からは、木々を自由に渡り歩くテナガザルたちの賑やかな鳴き声までもが聞こえてくる。まるで、世界中の音を集めて、互いの存在を祝福するかのように。そして、クレーン車がファンファーレを高らかに鳴り響かせ、吊り上げた彫刻が、今、まさに地上に下ろされようとする瞬間。それは、生まれたての命を扱うかのような慈愛に満ちて見えたのだ。作品として授けられた命は、作り手の身体から離れ、自立しなくてはならない運命を背負っている。けれども、この彫刻の丘は、その生まれたての命を受け止め育む、豊かな大地としてそこに実在している。この大地こそ、宇部の人々が長い時をかけて耕し続けてきた未来に託す希望なのだろう。
 UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)が追い求めてきたものとは、物質としての実在性だけではなく、見えない時間を刻み、移ろいやすい人々の記憶の風景をつなぎ合わせる役目としての彫刻の力だ。時代によってその形や新しい素材、革新的な技術への挑戦、サイトスペシフィックなアプローチへとアーティストの表現は変化を遂げてきた。しかし、変わらないものがある。それは、彫刻とは何か、アートとは何か、そのありようについて議論を諦めないこと。そして何よりも、人々の生活とともにある存在であり続けること。それが宇部の人々とアーティストとの約束なのである。
照りつける日差しの元、そうしたUBEビエンナーレの60年余の年月と、その歴史の端に、今、自分が立っていることの不思議さに思いを馳せる。ふと気がつくと、ついさっきまで、日焼けを気にして日傘を差し、眩しい光に眉をひそめていた学生たちが、芝生の上に大の字に寝転がったり、彫刻の周りを駆け回っている。今ここにいることの喜びが、全身から溢れ出している。懐深い、この彫刻の丘で。

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