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宇部の炭鉱絵画 〜描いたのは誰だったのか?〜

石炭×彫刻 WEBコラム

「炭都探訪 1955-1975 石炭×彫刻 未来へのモニュメントのかたち」関連企画

宇部の炭鉱絵画の特徴や描いた画家たちのこと、魅力について

石炭記念館所蔵絵画は全部で38点。この度の展示では、宇部市内を描いたと思われる、油絵の具やアクリル絵の具による作品20点を展示しました。全38点のうち17点は石炭記念館開館当時もしくは開館まもない頃の寄贈作品、残り21点は近年の寄贈作品になります。

開館当初の目録には、作者や描いた内容に関する詳しい記載はなく、絵のサインのみが手がかりとなる作品も少なくありません。共通して言えることは、宇部の炭鉱を身近に見ていた人々による、炭鉱を含めた当時の宇部の風景を描いた絵画であるということです。描かれた年代も昭和30〜40年代に集中しています。中にはもっと古い時代の坑内を描いた絵画もありますが、それらはすべて写真をもとに模写されたものです。

これらの作品が、炭鉱の歴史を伝える貴重な資料であることはもちろんですが、炭鉱町から工業都へと姿を変えてゆく、変化の激しい時代を描いた絵画としても、かけがえないのない郷土資料であるといえます。消えゆく炭鉱町の姿を描いた木村英雄の「廃墟」や、戸野昭治郎による「上宇部の炭鉱」シリーズには、けして寂しいばかりではない、郷土へのあたたかな眼差しが感じられます。また、竹本勘一の「松津炭鉱」や、作者不詳ながら閉山前に描かれたであろう「沖の山炭鉱 貯炭場」には、明るい、あるいは眩しいほどの陽光が降り注いでいるのが印象的です。

主な作者の略歴をご紹介します。

●木村英雄(きむら・ひでお) 
1906年(明治39年)宇部市生まれ、没年不明
東見初炭鉱労働組合長、興炭連会長、興炭労働組合長、山炭労委員長。昭和22年から山口県議会議員7期
趣味は油絵。
(『報道六十年』宇部時報社)


「廃墟 1(東見初炭鉱の山神社)」1970年 油彩・紙

●江藤斎彦(えとう・ときひこ)
1913年(大正2年)山口市生まれ、没年不明
1923年(?)広島県展入選
1938年 聖戦美術展入選(海上海軍陸戦隊より出品)
1957年 二科展入選
1958年 二科展入選
以後無所属、個展多数。
(石炭記念館既存資料による)
2012年 逍雲堂美術館にて遺作展開催(調査中)


「低炭層 寝掘り」1969年 油彩・画布

●竹本勘一(たけもと・かんいち)
1913年(大正2年)周防大島町生まれ、没年不明(調査中)
宇部高校の美術教師、宇部美術連盟
1962年(昭和37年)宇部市文化功労者表彰受賞
1963年(昭和38年)山口県芸術文化奨励賞受賞


「松津炭鉱」制作年不詳 (1969年新光産業株式会社寄贈)
*現在の新光産業敷地内(工場の辺りか)にあった炭鉱。読みは「マツヅ」または「ショウシン」。新光産業(または古谷鉱業株式会社)と竹本氏の関係は不明。(新光産業OB談)

●戸野昭治郎(との・しょうじろう)
1931年(昭和6年)広島県呉市生まれ
1949年 山口県立宇部高等学校卒業
1950年 宇部市主催市美術展市長賞受賞
1952年 山口市主催市美術展市長賞受賞
山口大学教育学部卒業。小野田市立須恵小学校、宇部市立桃山中学校、藤山中学校、厚南中学校で美術教育に従事。1988年退職。
1957年 山口県美術展県知事賞受賞
1961年〜1967年 新美術協会会員
1966年〜1978年 春陽会展入選、会友(72年退会) 
1981年〜1985年 日本国際美術家協会会員
1986年〜2008年 日本美術家連盟会員
1998年 宇部市芸術文化功労賞受賞
(『戸野千空 私の報告書 古希記念図録 1940-2000』『六十年前の炭鉱と私』)
*戸野千空は雅号


「1957年 上宇部の炭鉱 2」 2015年 アクリル・画布


「上宇部炭坑(現・沼)15」1957年 鉛筆、水彩・紙

●作者不詳

「沖の山炭鉱 貯炭場」制作年不詳 油彩・画布

調査協力:廣畑公紀(石炭記念館学芸員)

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