UBE BIENNALE

グラフィックデザイナー 粟津潔のポスターデザイン

石炭×彫刻 WEBコラム
「炭都探訪 1955-1975 石炭×彫刻 未来へのモニュメントのかたち」関連企画

「現代日本彫刻展ポスターについて」

粟津潔(1929-2009)は、独特の色彩と表現で、戦後日本のグラフィック・デザインを牽引し、メタボリズム(当時の若手建築家や都市計画家等による建築運動)の結成にも参加した、多才でユニークなデザイナーです。様々なポスターや本の装幀をはじめ、パフォーマンスや空間デザイン等も手がけました。

現代日本彫刻展(現:UBEビエンナーレ)の第5回展(1973)から第21回展(2005)までのポスターデザインはすべて粟津潔によるもので、当館にはB1サイズからB2サイズのポスターが計40点収蔵されています。イラストや文字を駆使したそのデザインには、野外彫刻展の告知という枠を超えて、その時々の粟津自身の興味や、当時の社会の様相がモチーフとして現れています。


第5回現代日本彫刻展 1973年 B1ポスター


第6回現代日本彫刻展 1975年 B1ポスター

【粟津 潔 1929-2009 略歴】

1929 東京都目黒区に生まれる
1955 ポスター<海を返せ>で日本宣伝美術会賞受賞
1956 日宣美奨励賞、日宣美の会員になる
1959 世界デザイン会議(1960 年開催)の日本運営会創設に伴いグラフィックデザイン代表委員となる
1960 企画委員として世界デザイン会議に出席、建築家等によるグループ「メタボリズム」に参加
1964 粟津デザイン研究室(東京・原宿)設立、武蔵野美術大学造形学部デザイン科助教授となる
1965 「ペルソナ展」に参加。アスペン世界デザイン会議に招待される
1966 エンバイラメントの会に参加し、「空間から環境へ」展に出品
1967 大阪万国博覧会「EXPO ランド」基本構想計画の設計に加わる
1973「装丁コンクール」通産大臣賞受賞
1977 サンパウロ・ビエンナーレに招待作家として参加
1980 映画「夜叉ヶ池」の美術を担当し、日本アカデミー賞受賞
1985 つくば科学万博「政府テーマ館」プロデューサー 他、国内外での展覧会、パフォーマンス、プロジェクト等への参加多数
1990 紫綬褒章受章
2007 粟津デザイン室より作品や資料を金沢21世紀美術館に寄贈
2009 80 歳にて死去
(『粟津潔の作品』主催=読売新聞社・K.A.絵援隊P.P、1874年発行、『粟津潔の仕事1949-1989』河出書房新社、1989年発行)

第5回〜第21回現代日本彫刻展ポスター(1973-2005)一覧(PDF)

ポスターに繰り返し登場するいくつかのモチーフについて、粟津の言葉を参照しながらご紹介します。

亀、鳥
亀も鳥も、粟津が身近に親しんだ生物で、亀は『丹後風土記』を読んだことから、鳥はパブロ・カザルスの「鳥の歌(スペイン・カタロニア地方の民謡)」を聴いたことから、粟津の創作の主要なモチーフとなりました。粟津は亀について、古代中国の亀卜や浦島太郎伝説をはじめ、昔から「民衆にとって幻の案内人であり、したがって守護神でもあった」と語っています。鳥については、人が生まれ変わった未来の姿として“輪廻”のようなイメージを抱いていたようです。ある対談のなかで、自身の作品に登場する鳥について「これみんな人なんです。」と語っている場面があります。世の中に様々な人がいるように、描かれた鳥たちにも“人相”のような様々な個性が秘められているようです。現代日本彫刻展のポスターでいえば、第5回展に白鳥、第6回展にはカラスが描かれています。鳥たちの表情や胸のうちを想像して見るのも面白いかもしれません。


第6回現代日本彫刻展 作品公募 1974年 B2ポスター

ウラジミール・タトリン「第三インターナショナル記念塔」
第7回展ポスターのメインビジュアルとして目をひくのが、螺旋状の不思議な構造物です。画面の中にも作家の名前が書き込まれていますが、これはロシアの芸術家ウラジミール・タトリンが1919年に構想した「第三インターナショナル記念塔」です。高さ400mを超える二重螺旋構造による鉄塔として計画されましたが、実現することなく終わりました。ロシア・アヴァンギャルドを象徴する歴史的な構想建築で、粟津ポスターには、色やサイズを変えて繰り返し登場します。


第7回現代日本彫刻展 1977年 B2ポスター


第7回現代日本彫刻展 作品公募 1976年 B2ポスター

指紋、印影
粟津のグラフィックデザインに頻繁に登場するモチーフに、拇印のような指紋や印鑑の印影があります。第8回展ポスターには、宙に浮かんだ手のひらに所狭しと様々な苗字の印鑑が押されています。また画面下に描かれた瓶やコップ、卵は、指紋のような不思議な模様で覆われています。急速に社会が近代化する時代において、拇印や押印は原始的な印刷技術のひとつとして、粟津の興味をひいたのかもしれません。一見古風なモチーフは、現代的なデザインの中に取り入れられることで、かえって斬新な印象を与えるものとなっています。粟津は指紋について「指紋はひとの顔、かたちと同じように、絶対的な個別である。」「「終生普遍」なる人間の記号。かたち。」であると語っています。


第8回現代日本彫刻展 1979年 B2ポスター

縞模様(風、波)
粟津による現代日本彫刻展ポスターを見渡してみて、やはり目をひくのは縞模様です。画面全体に描かれた細かい縞模様、海の波模様として描かれた縞模様、雨の細かい線として描かれた縞模様、山の等高線のようなもの、虹、解剖図の目から放たれる光線など、ヴァリエーションは実に様々です。粟津は「風が木々を動かし音を立てる。風は目に見えぬものだが、木々を動かし見えるものにする。木々を動かすことができるのは風だ。」「風は巨大な海に波を描き、果しない砂漠に風紋を描きつづける」と語っています。画面を埋め尽くすような縞模様は、ポスター画面上に散りばめられた様々なモチーフをつなぐ見えない風なのかもしれません。


第9回現代日本彫刻展 作品公募 1981年 B2ポスター


第10回現代日本彫刻展 1983年 B2ポスター

引用:『粟津潔の仕事1949-1989』河出書房新社、1989年発行
『粟津潔 8夜快談集』文化出版局、1985年発行
協力:不動美里(姫路市立美術館副館長、UBEビエンナーレ選考委員)

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