UBE BIENNALE

見方を変えてみよう! × 久村卓さん

美術家の久村卓さんのアトリエに遊びに行ってきたよ。アトリエといっても普通のお家なんだけど、壁にかかってる服やテーブル、久村さんが着ているシャツなんかも全部自分で作ったものなんだって。「あのシャツなんだけどね、実はあれも彫刻なんだよ」って、久村さんどういうことですか?

インタビュー2020年7月18日、8月11日

コラムその1:アトリエは普通のお部屋?でした

トキトキ:久村さんこんにちは!UBEビエンナーレ新聞新人記者のトキトキです。今日は、よろしくお願いします。

久村:やぁトキトキ。今日は来てくれてありがとう。さっそくアトリエから紹介するね。アトリエといっても、普通の部屋だよ。ここでは刺繍で作る彫刻のシリーズや、デスクワークなんかをするところだね。居心地が良くて一日中こもっているよ。

トキトキ:刺繍で彫刻…。なんだか面白そう。

久村:あのシャツなんだけどね、実はあれも彫刻なんだよ。あとは、このテーブルも作品として展覧会に出品したものだし、リビングの椅子も僕の作品なんだよ。こうして作品として作ったものを、そのまま使って暮らしてるんだよ。今僕が着ている服も、作品ではないけれど、お店で売られている服を買ってきて、布を縫いつけたり、絵を描いたりして使ったりしているんだよ。量産品を一点ものにするっていう感じかな。

トキトキ:大きい作品もここで作るの?

久村:いやいや、相模原市に共同アトリエを借りていて、音や埃の出る仕事はそっちでやっているんだよ。宇部にもまあまあ大きい作品を出品したことがあるんだけどさ、さすがに家で作ったら周りの人から怒られるからね。相模原市にはアトリエがたくさんあって、アーティストが100人以上いるんだよ。ここ数年は、毎年一緒になって「スーパーオープンスタジオ」っていうのをやったりして、色々と情報交換出来たりするのも良いところだね。

トキトキ:いいなぁ。うらやましいなぁ。トキトキもアトリエに入りたいなぁ。

久村:宇部にもそういうアトリエがあったら楽しいかもね。僕は大学卒業するちょっと前くらいかな、漠然と作家活動しようって思っていて、周りの人に「どこかにアトリエ無いかなー、入りたいなー」って言ってたんだよ。そうしたら卒業して半年くらいしてから先輩に声をかけてもらって、今のアトリエに入ることができたんだよね。何かやってみたいことがあったら、とにかく誰かに話してみるのはいい方法だね。

 

コラムその2:作りたいものが分からなくなったんだよね

トキトキ:久村さんは、こどものころはどんなことをしてたの?

久村:子供の時はスポーツが好きで、勉強は好きじゃないっていう典型的なタイプかな。ただ美術とか図工の成績は良くて、よく褒められたりした事もあって、「美術」と聞くと、どこか特別な感じがしたよね。

高校2年になる頃には「美大へ行く」って決めたんだ。それから、本当はデザイン科を目指していて、でもあまりにも色が上手く使えなくて、このままじゃマズいって思って受験直前に彫刻科へ移るんだよね。「絵が描けなくて彫刻へ逃げる」と。これが彫刻との出会いというのは絶対に書いちゃダメだよ!

トキトキ:…。美術とか図工の成績が良くても難しいんだね。

久村:何とか美大には入ったけど、あまり優秀な生徒では無かったよね。美大には全国から上手い人が集まるから、小さい頃上手かったとかいうのも全く意味のないものだったよ。でもそれにすぐ気付いて「上手!」みたいなものじゃない方向を目指したのは良かったかもね。

トキトキ:上手!って言われると嬉しいけどなぁ。

久村:そうだよね。でも僕が気付いたのは、「必ずしも上手く作れなくても大丈夫」って事かな。その代わりに「何でそれを作ったの?」っていう考え方の部分が、とても大切になってくるんだよね。大学では、どうやって作ればいいのか、技術や材料なんかについては教えてくれるんだよね。でも、「なぜそれを作るのか」っていうことについてはあまり教えてくれなかったんだ。僕も技術は身についたけれど、それで何を作ったらいいのかわからなくなってきたんだよ。

トキトキ:トキトキも何か作ってみたいけど、何を作ったらいいのか悩むことがあるよ。

久村:そういう思いのまま大学を卒業して、一時期は「もう彫刻やめてもいいか」ってところまでいったよね。でも、その時に偶然出会った彫刻家の先輩が、中途半端な自分を鬼の様に叱ってくれたんだ。「とにかく考えろ」と、「なぜその形作るのか、なぜその素材を選んだのか」、「とにかく全てにおいてよく考えろ」ってね。そんなこと今まで考えなかったことが、自分で恐ろしい話だなぁと思ったし、反省でもあり、それから希望でもあったかな。そういう美術の作っていきかたもあるんだなって思ったんだ。じゃあ「美術って何なんだ?」って事を学び出したのも、この時からだね。

トキトキ:美術って何だろう…。トキトキは美術ってとにかく楽しいものだと思ってたなぁ。

久村:美術を学んでいくと、色々な作品の「何でそれを作ったの?」が少しずつ見えてくるんだよね。そうすると「自分が好きな作品・嫌いな作品」のような好みだけじゃなくて、違った見方で作品が見えるようになってくるんだよね。それを色々と知っていくうちに、次第に何でもないようなものが彫刻にみえてくるというか、彫刻と彫刻でないものの違いに気が付くようになってきたんだ。

コラムその3:彫刻ってなんだろう

トキトキ:彫刻と彫刻でないものの違い?

久村:そうだなぁ。トキトキはどんなものを彫刻って思うかな?例えば立派な台座の上に乗っている騎馬像なんかはどうかな?まさに典型的な彫刻といえるものだけれど。

トキトキ:うんうん。彫刻だと思うよ。

久村:あの壁のシャツの彫刻なんだけどね、胸の部分に額縁が付いてるでしょ、その中に騎馬像の彫刻があるんだよ。この騎馬像見たことないかな?そうそう、有名なブランドのマークだよ。それに台座を刺繍して、彫刻に仕立てているんだよ。

トキトキ:ほんとだ。シャツの中に彫刻がいた!

久村:そうそう、台座に乗せて、額縁に入れるっていう二手間で、ロゴマークが彫刻になってるよね。近所で古着の洋服を買ってきて、自分の家でチクチク刺繍するんだけど、材料を手に入れたり、仕事をする際にも“軽くて”良いんだ。

これのどこが彫刻なんだろうって思う人もいると思うけど、「こんなんでもいいんだね」って思う人もいるんだよね。現代では美術の幅はすごく広がっていて、あらゆるものが美術になる可能性があるよね。でも、なんでこれが美術になっているのかっていうのは、絶対的に理由があるんだよね。社会的なこととか、場所のこととか、その状況とかなんだけど、僕は普段彫刻と思ったことのないものを、どうしたら彫刻にみえますかってことをいつも考えてる。彫刻も含めた美術ってものは特別なものって思われがちだけど、そればっかりじゃないよって事を知ってほしいと思っているんだ。

トキトキ:彫刻って、なんかカチカチ!みたいなイメージがあったけど違うんだね。

久村:僕の思っている彫刻のイメージと、トキトキの思っている彫刻のイメージは違って当たり前で、みんなちょっとずつ違うんだよ。難しく言うと「彫刻の概念」かな。例えば、彫刻は技法であるという見方をすると、じゃあ削ったりとかそれを盛ったりとか、そういう行為としていろいろ考えていけば、日常的にやっていることも彫刻なのかなって思えてくる。そうだなぁ…例えばパンにマーガリンを塗るとか。ほかにも、かくれんぼもとかでも、場所を触ってみるとか、触ってかたさを知るとか、隙間に入って大きさを知るとかも、彫刻でも似たようなことをやっている。
かくれんぼとか、マーガリンを塗ることとか、彫刻がそういったものと似ているみたいなことに気付ければ、いわゆる金属みたいなカチカチのもので溶接して削るとかしなくても、別のやり方で彫刻つくれるんだよ。ちょっと見方を変えるってのが大切かな。

トキトキ:見方を変える、かぁ。なんだか楽しそう。

久村:これが彫刻なのか彫刻じゃないのか、その変わる瞬間が人それぞれで違うから面白いんだよ。そうして知っていくと、どんどん、なんでもないものが彫刻に見えてくるというか、特別なものに見えてくるんだよね。ちょっとやりすぎると疲れちゃうけど。

コラムその4:美術を教えるっていうこと

トキトキ:久村さんは、美術の先生って聞いたんだけど。どんなふうに教えてるの?

久村:大学で少し授業をしていて、あとはワークショップもしているよ。そうだなぁ、僕はとにかくわかりやすく伝えないといけないっていう使命感があって、美術に詳しい人と、そうじゃない人との段差を埋める“スロープ”みたいになるんだって思いながら教えているかな。あとは、美術は僕にとって「メガネ」だって言ってるんだよね。メガネを掛けるとよく見えないものが見えてくるよね。美術っていうメガネを掛ければ、ボヤっとしていた自分の考えや社会の事や、他人の顔が少し見えるようになるんだよね。美術が無かったら、ボヤっとしていたものを見過ごして生きていたかもしれないね。まあ僕は視力がすごく良くて、メガネをした事が無いんだけどね。

トキトキ:美術は「メガネ」? トキトキの目はとってもいいんだよ!

久村:トキトキの目はとっても大きいもんね。美術作品って、時には難問クイズみたいなところがあってさ、何回見ても分からないんだよね。でも美術ってクイズみたいに正解が一つしか無いものじゃないし、他の人の考えを知る事もアリだし、何より自分でも分かろうとして調べていくと、政治や経済や歴史にまで繋がることだってあるんだよ。

そうやって少しづつ「種明かし」をしていけば、意外と見えなかった部分が見えるようになってくるよね。これが「教育」にも似てて、みんなが色々な視点で種明かしに取り組む事で、複雑に見えていた作品の中身が段々見えてくるんだけど、これが「鑑賞」っていうことなんだよね。

トキトキ:フムフム。トキトキも久村さんの授業に行ってみたいなぁ

久村:ぜひ!でもとりあえず宇部にはたくさん彫刻があるから、それらを「鑑賞」してみる事から始めるといいよ。

ちょっと僕の作品の紹介をすると、2015年のUBEビエンナーレでは、大きな石で壊れたベンチを作ったよ。今も頻繁に起こっているけど「自然災害」に関心があって、何か人間じゃないもののチカラで公園にあるようなベンチが壊れたっていう“状況”を作ったんだよ。

道後温泉の街角には、大きなお風呂の椅子を立て掛けて乾かしている作品を作ったよ。宇部の作品も道後温泉の作品も、置かれている場所や物の大きさ、その状態や状況をちょっと変えている。ベンチと石がただあるだけでは普通の風景なんだけど、それがバサッて壊れてると作品になりうるんだよね。

トキトキ:わー。隕石みたい。

久村:展覧会期間中だけの設置だったから今は宇部に無いけれど、宇部には他にも面白い作品がいっぱいあるから、いろんな見方で作品に向き合ってみたらどうかな。

トキトキ:うん!早速やってみるね。久村さん、今日はどうもありがとうございました!

久村:トキトキも来てくれてありがとう!僕も、そのうち宇部に遊びに行くね。

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