企画立案から審査まで(1963-図録)
岩城 次郎
従来、美術展において絵画の部の附録的な観として伝襲化されていた彫刻のみを独立させて全国公募にしたこと、作品を野外に耐えうるものとしての野外彫刻に限定したこと、開催地区を東京を離れて一地方都市にしたこと等々の二重三重の我が国初めての試みが成功するかどうか、このことの立案企画から審査、開場までの終始に関係した一人として他の関係者と共に杞憂もし、あれこれと心も労した。
応募作家の便宜のために、先ず搬入地を東京と、現地の二ヵ所に分けて、東京搬入分の予傭審査を8月20日、東京芝浦の宇部興産セメント包装工場の構内で行なった。搬入点数は80点、応募人員は57名で予想した以上に質が高く先ず愁眉を開いた。その中から32点、20名の作品を取り、直ちにセメント・タンカー船に積載して現地会場に海上輸送した。
西日本地域への搬入作品は9月9日に現地会場にて審査をし42点、38名の応募中から4点、4名が通過した。これに先の東京分と合わせて最終審査をして、結局、総点数122点、応募者95名中から34点、23名の作家が入選の栄を獲ちとった。
次いで、各審査員から受賞候補を出しあったところ、小田襄、志水晴児、田中栄作、尾川宏、富樫一、島田忠恵、玉置正敏、土谷武の8名が上った。この中から興産大賞の候補は志水、尾川、富樫の3名に絞られた。それぞれ一長一短があったが合議の結果、志水の作品のもつオリジナリティと、成長の可能性を暗示する”若さ”とが認められ全員一致して大賞受賞が決まり、宇部市賞は尾川、毎日彫刻奨励賞は富樫に異論なく決定した。しかし受賞候補の残り5名は、凡てその価値があり賞を与うべきとの意見が大勢を占めたので、主催者側の了解を得て、新たに宇部野外彫刻美術館賞、宇部市長賞、U氏賞が設定され、次の如く贈られた。
鎌倉近代美術館賞 島田忠恵
八幡美術工芸館賞 田中栄作
宇部市野外彫刻美術館賞 小田襄
宇部市長賞 上谷武
U氏賞 玉置正敏
宇部市野外彫刻美術館賞 宮川和博
審査を終えた後の感想をいささかのべると従来の我が国の彫刻家の発表の場が美術館なり画廊といった、限られた空間を主として来たこと、従ってそのような場での効果を計算した味つけなり絵画的な処理というものが多分に見られたこと、そのような小味な芸は遮薇するもののない広大な空間に置かれた場合は全く無力であること、彫刻のもつ構築性の強弱が無辺の空間に向って勝負の決め手であることを痛感した。このことは、決して作品の規模の大小とは関わりのないことを附言しておきたい。次に搬入地を東京と宇部に分けたが、東日本に比して西日本の分は質的にかなり見劣りがした。西日本応募者38名に対し入選わずか4名、ことに大阪以西では1名、1点のみに止まったという審査の結果に現われているが、このことは彫刻家人口の密度の差としても考えられる。
最後に野外彫刻として搬入された作品の80%を占めるものが抽象であったこと、入選作家年令が20代~30代が大半を示していることに我が国現代彫刻の若い世代のエネルギーが何れの方向にあるかということ、その層の厚さの中から優秀な作家が生まれるということをあげておきたい。
この我が国美術史上での初めての試みといっても過言でない展覧会は応募点数にても、質的水準でも充実したものであり、一応の成功であった。